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心の哲学(こころのてつがく、英:Philosophy of mind)

心の哲学(こころのてつがく、英:Philosophy of mind)とは、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。

心身問題に対するアプローチは大きく分けると二元論と一元論に分けられる。二元論は何らかの意味で体と心を別のものとして考える立場のこと。二元論の考えは非常に古くから見られ、例えばプラトン[1]アリストテレス[2][3][4] そしてサーンキヤ学派やヨーガ学派などのヒンドゥー教の考えにも見られる[5]。歴史的に二元論を最も明確に形式化した人物として17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトが知られている[6]。デカルトは実体二元論(Substance dualism)の立場から、心は物質とは独立して存在する実体だと主張した。こうした実体二元論と対比させられるのが性質二元論(Property dualism)である。性質二元論では、心的な性質は脳から創発する性質であると考える。つまり心的性質を脳の物理状態に還元することはできないものとみるが、かといって脳と独立して存在する別の実体であるとは考えない[7]。
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他方、一元論は、心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方である。西洋哲学の歴史においてこの考えを最初に提唱したのは紀元前5世紀の哲学者パルメニデスであり、この考えは17世紀の合理主義哲学者スピノザによっても支持された[8]。一元論には大きく分けて三つの種類がある。ひとつは物理主義(Physicalism)である。物理主義とは物理学の理論が記述するもののみが存在しているという考えで、物理学が発展していけば、心についても全て物理学の用語だけで説明できると考える。これに対するのが唯心論(Idealism)で、心だけが実際に存在するもので外界とは心そのもの、または心によって作り出された幻想と考える。そして中立一元論(Neutral monism)は、何らかの中立的実体があり、物や心というのはこの知られざる実体の持つ二つの側面、性質なのだと考える。この三つの一元論の中で、20世紀から21世紀にかけて最も一般的だったのは、物理主義である。物理主義には様々なバリエーションがあり、行動主義、タイプ同一説、非法則一元論、機能主義などがこの中に含まれる[9]。

現代の心の哲学者の多くも物理主義者だが、心を体と別の何かとして分けて扱うかどうか、という点に応じて、還元的な物理主義(Reductive physicalism)と非還元的な物理主義(Non-reductive physicalism)に分かれる[9]。還元的な物理主義では心的な状態というのも、結局は生理学的なプロセスまたは状態として自然科学の言葉によって全て説明されると考える[10][11][12]。これに対し非還元的な物理主義は、心に対応するものは脳だけしかないが、それでも予測と説明に用いられる心的な語彙に関しては、より低次の物理科学の言葉による説明へ置き換えることも、還元することも出来ないと考える[13][14]。神経科学の継続的な発展はこうした問題のいくつかをより明確に描き出す助けになってくれる。しかしそれだけでは解決にはほど遠く、現代の心の哲学者たちは、どのようにすれば心のもつ主観的で質的な体験、志向性といったものを自然科学の用語だけで説明する事ができるのか、と問い続けている

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2009年06月22日 08:07に投稿されたエントリーのページです。

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